2010年2月4日木曜日

上海雑伎団スレ【第十一幕】

318 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/24(日) 14:44:17 qLe.ummcO
昨年末の忘年会の時期から実験を始めました。
「とりあえず買う」という実験です。
好きなものがあったら買う。高い物でもなんでも買う。躊躇しない。食べたい物を食べる。飲みたい物を飲む。

その代わり、けして自分を責めない。何があっても。


これ一ヶ月続けたらどうなるかな… と。
本日一ヶ月なんですが、この一ヶ月、一度も銀行に行かず、クレジットカードも使っていません。
私は買いたいと思ったら迷わず買いました。食材も普段より高くするのも躊躇しませんでした。
普段より金は使っているのは間違いない。

なのに、私は一度も金を口座から引き出すことなく、財布の中の金だけで生活ができたんです。
さらに残高まで増えている!!

そして、なんでこうなったのか自分でもよくわからない。
じゃあこれ三ヶ月続けたら、一年続けたら、一生続けたらどうなるか…などと考えております。


412 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/25(月) 19:04:39 qLe.ummcO
気付きって追い求めるようなもんかねえ。時に証拠探しの延長になってる人もいるんじゃないか。と思う。

気付きが認識の変更、ひいては現実の変更に有効であることは否定しないけど、燃料の種類の一つにすぎないだろ。


413 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/25(月) 19:06:50 6lop/v6.0
>>412
しかし、脱脳さんのレス読むと、なんか心地よさそうだから。。。


414 名前: 脱脳業者 ◆9sMXZr4UzU 投稿日: 2010/01/25(月) 19:21:49 aZqhMOccO
ん?ワシは気付きなんて、大嫌いwww

気付きをえられた~ってノコノコしとる自分にイライラしたよねw

もう気付きいらん!金よこせ!

そんなんやで


419 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/25(月) 21:04:00 qLe.ummcO
>>413>>414
一応言うけど>>412は別に脱脳さんがどうとかいう意味のレスじゃないよん。

それに私は気付きはイイと思うよ。いろんな意味で。経験的に気付きは願望や現実の変化への起爆剤になるしね。


脱脳さんは名前が天才的だよ。脱脳って「フラットに淡々と」以来の名言だと思うわw


430 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/01/26(火) 02:36:34 XcCbX5EEO
>>429
理論嫌い?
その嫌いなややこしい理論は、我らがややこしい条件付けで願望を設定し続ける曉の産物なんだよ?
つまり誰もが水や空気や石ころみたく宇宙的に存在し続ければ
理論なんざもーっとシンプルで済むわけだ。
「嘘つけ、俺はややこしい条件付けの願望なんか出してねー!」
と思う人もいるだろうけど、人間シンプルな願望で済んでるのは赤ん坊の間だけだからなぁ…


451 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/26(火) 16:00:10 qLe.ummcO
>>430
そうかね~?願望自体はみんなシンプルじゃないか?

金が欲しいとか借金返したいとか恋人が欲しいとか復縁したいとか試験に通りたいとか。
条件付けの多くは願望じゃなくて実現についてじゃない?

だから脱脳なんだし。



498 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/27(水) 14:14:29 qLe.ummcO
108さんは一定の世界観を手を変え品を変え言ってるだけで、同じことしか言ってないと思うよ。
けど今回の記事のニュアンスは一番よかったように思うな。伝わった人には大きな変化になるんじゃないか。

個人的には先取りの方が好きだけど。


639 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/29(金) 19:30:03 Bc1ibHSg0
>>脱脳さん
どうもありがとうございます。
今学生で、資格試験に取り組んでるため、
どうもアホになりきれないという状態ですw

>>つまるところ、能力のための「能力」は要らないというわけだw
ここらへんについて、今度調子のいいときに、レクチャーお願いします。


662 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/30(土) 00:50:15 qLe.ummcO
>>639
もう解決済みかもしれないけど「能力」について横レス。理論が肌に合ったら採用してみて。

「能力」は存在しない。「能力」と言われるものは、「人がある『結果』を出すことに合理性を持たせるためのフィクション」にすぎない。
つまり、人と結果を結び付ける「因果律」の一つってこと。

すなわち、能力の獲得なんてもんはない。よい結果を出しつづければ、「能力がある」と言われ、悪い結果を出しつづければ「能力がない」と言われる。
完全なる虚構であり信念なんだ。


だから、なくたって構わない。
「結果」を直接だせばいい。仮に記憶力が欲しいのなら、何か記憶したいものがある。「そんなもの私に記憶できて当然」といった状態に置けばいい。


慣れるまでは、能力がないことをなげくたび、「しかし能力など関係なく結果は出る」と、頑なにこの見解を採用し続ける。すると、ある時「自分の能力」と言われるものの限界を突破できる。


勉強や仕事ではこの結果がわかりやすい形で出るから、うまくいけばおもしろいと思うよ。


793 名前: 662 投稿日: 2010/01/31(日) 21:19:02 qLe.ummcO
体験談ですか。試験関係がいいのかな。
倍率は8倍程度の、ある資格を取るために必要な試験に何の勉強もせず受かった(といっても苦手意識が微塵もなかったので、実践上は避けることを勧めますが) とか。
60点が最低ラインのはずの試験を27点なのに合格したとかかな。
能力の話とは必ずしも結びつかないと感じるかもしれないけど、因果律を介在させず今の自分を結果に直結させるという点では同じです。


759 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/31(日) 01:21:07 tiab1F1Y0
>>662
横から相談です。

その場合、仕事が認められるようになりたいって言うのは、どんな感じなんでしょう?
「能力がなくても認められる」
って認定する感じですか?

どうも上司が、私に文句言いたいみたいで私の仕事にだけぐちぐち文句付けてくるんです…。
見返してやりたい!!
けど、私は私のやれることを精一杯やっているつもりなので、どうすればいいかわからない!!
何より悔しいですし。

仕事向いてないのかなーリアトラでいう魂が求めている仕事が見つかればいいなー
とかもぼんやり思ってますが、辞めるにしたってあいつに何かを見せつけてから辞めたいなーとかww


794 名前: 662 投稿日: 2010/01/31(日) 21:26:18 qLe.ummcO
>>759
ズレてたら申し訳ない。
>>662で述べたのは、「因果律」によって上手くいかない理由を作る必要はない。能力もその一つだぜ!だから『今の自分→ 能力獲得→結果』というプロセスは必ずしも必要ないよ!」ということ。

そこで、あなたが自分を能力がないと思っているなら、「なんて能力がないんだ…」となる度にあなたのいうように「それでも仕事上手く行ってもいい!」と因果をぶった切ってもいい。これは「認定する」ようなメソッドというか、単にその世界観・信念のようなものを選択するだけ。それ以上の意味はなく、別にこれであなたが仕事を認められるわけではない点には留意してほしいです。
ただ因果での縛りを解放することで望ましい現象化へのルートを広げるだけのこと。

ところで、文面を見ると、あなたの場合ただ結果を出したいのではなく、結果のその先にあるかもしれない「上司を見返す」ようなことを望んでいるように見える。
それだと上で書いたことは微妙にズレてくるかもしれない。それに、誰かに認められたい欲求が強めなら、別の方向からのアプローチもあると思う。


795 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/01/31(日) 21:40:57 PWNyyr6Y0
794
>>759 さんではないんですけれど、
>誰かに認められたい欲求が強めなら、別の方向からのアプローチもあると思う。
について、ぜひお聞かせください。


798 名前: 759 投稿日: 2010/01/31(日) 21:55:26 tiab1F1Y0
>>794
レスありがとうございます。

>別にこれであなたが仕事を認められるわけではない点には留意してほしいです。
> ただ因果での縛りを解放することで望ましい現象化へのルートを広げるだけのこと。
よくわからないのですが、「望ましい現象化へのルート」というのは「認められなくても
仕事はうまく行っちゃう」みたいなかんじでしょうか?
それは…うーん。
仕事はうまくいってるのに上司は文句を言ってめんどくさいな!という
現象が変わらないのは、いやですね。

>ところで、文面を見ると、あなたの場合ただ結果を出したいのではなく、結果のその先にあるかもしれない「上司を見返す」ようなことを望んでいるように見える。
>それだと上で書いたことは微妙にズレてくるかもしれない。それに、誰かに認められたい欲求が強めなら、別の方向からのアプローチもあると思う。い欲求が強めなら、別の方向からのアプローチもあると思う。
結果を出すのも大事だけど、自分の本当の目的は「認められて必要とされる」ことだと思う。
ということは、認められたい欲求が強いと思う。
ので、そこのとこ詳しく教えてもらえるとうれしいです!


943 名前: 662 投稿日: 2010/02/03(水) 18:45:35 qLe.ummcO
>>795>>798
亀なんで本題だけ。
別のアプローチとは、この板で示された様々な方法を指していたんで、別に私が何か用意してるわけじゃないw
でも何も書かないのもアレだから、有効だったことを一つ書く。実はこれまで人間関係についてはけっこう名無しで(たまにレス番で)レスしているから、もしかしたらどこかで見たことあるかも。

「なぜ必要とされたいのか」
問い掛けてみるといい。

答えを待っていてはまた亀になりかねないので結論を書くと、それは概して「自分は無価値だ」と思っていることによる。以下この前提で話を進める。

何かのきっかけで、意識無意識に関わらず自分が無価値だと感じる。平たく言えば「認められない存在」「必要ない存在」だと思う。
これにより、内面の忠実な投影として、それに沿った現実が展開し、「あの人から必要とされていない現実」「会社から必要とされていない現実」「社会から」「親から」
と、割合を増しながらどんどん「無価値だと感じられる現実」が展開される。


そこで、無価値だと感じていることを、「他人に認められている」ことを通じて、「自分に価値がある」と自分の価値を再確認し「無価値」という認定を否定しようとする。


しかし、それは難しい。なぜなら、「無価値」と感じさせる現実を作っているのは自分だから、自分が「無価値」だと思っているのに「価値がある」と思わせる現実が展開する可能性は低いからだ。


これは、取り組み方がややズレている。
確かに、他人の評価を通じて「無価値」を否定できてもよい。
だが、そうやって変な形で他者依存している限り、その他者の態度次第で、自分が
「無価値」か「価値がある」
かというように、自分の価値が上下してしまう。
その度に自分の味わう現実は変わる。

不毛だ。不毛ならやめる。

まず、自分の認定を変える。
「私は世界に絶対不可欠な存在」であるという事実を、単に知ること。
そして、他人を通じた自己評価をやめること。
やることはこの二つだけ。

これが別のアプローチ…として用意していたわけじゃないがw私の実践で有効だった方法の一つ。